きらめき広場  酒井幸江

 生長の家の神様を信じる仲間や、神様を求めている方と、日々の悦び、心のきらめきを語り合える広場。

神の子さんありがとうございます

2006-09-29
「神の子の洋輔さん、おはようございます」
「神の子の望加ちゃん行ってらっしゃい」
「神の子の崇正君おかえりなさい」
「神の子の昭利君おやすみなさい」
「神の子の彩衣ちゃん大好きよ」

毎日、やさしい笑顔と声で主人と子供達に、言えてるんですよ。




私は声がとにかく大きい。


 腹の底から声を出して、スポーツ大会の応援でもプラスの言葉を使ってどんどん励まして、絶妙なタイミングで声をかける。

 おばちゃんの声でサーブがすとんと入る。おばちゃんは魔法使いみたい。と子供会の子供達に言われた。

 今年のソフトバレーの大会でも地元の子供達は準優勝をした。

 PTAの友人は言葉の力の凄さに感服したと褒めてくれるので生長の家の酒井さんの言葉の力は本当だと思ってくれたみたいで嬉しい。



 でも、家族には小さなやさしい声で語りかけている。「神の子さん」ゆっくりと優しい笑顔を向けて合掌して拝むと家族の目がキラキラして、自分が神の子である事を自覚する悦びに溢れるのが判る。



元気で豪快な私も、しとやかでやさしい私も同じ私です。


神の子の命に感謝して日々をすごす悦びを教え給いし神様に感謝いたします。
Posted by a177943838 at 09:22:51Comments(6)TrackBack(0)

霊感なんて…

2006-09-28
 生長の家で「神は霊媒にかからない。見えなくなるまで修行しなさい」と厳しく教えられました。 神の子の真理を心の底から求めていた私にとって、激しい霊媒経験は劣等感になっていました。


 前回のブログで霊媒体験を明かした事に少し後悔しましたが、父への感謝を表現するには必要な事でした。


 9月23日の谷口雅宣先生のブログ小閑雑感の「死は人生の収穫」で『我々が自分や他人の前世に捉われるのではなく、「生れ変わり」があることや「生命の不滅」を信じることは、大いに意味があることです。』とお示し下さった事で私は安堵しました。


 私がお腹の赤ちゃんを守り抜いたのも、生まれて来れなかった命の悲しみを誰よりも知っていたからです。


 私は昭和39年生まれ。若い頃、宗教をしていると言えば変人扱いされました。   


 しかし、今のスピリチュアルブームで会社やPTAの友人達が自分の前世が知りたい。見てもらいたいと本気で言っているのを聞いて複雑な思いを持ちます。



 霊感の強い私はいろんな事を感じ取りますが、「人間神の子」の真理の前には些細な事です。 生長の家の教えを伝えよう。 少しづつしっかりと、生き通しの命を自覚して。 
Posted by a177943838 at 09:07:16Comments(4)TrackBack(0)

お父さんが伝えてくれた生長の家

2006-09-22
 私の亡き父中野博久は58年前、17歳の時に教えに出会いました。父が生まれた頃は曽祖父が真宗のお寺の総代をしていて、信心深く裕福な家庭だったそうです。8人兄弟の長男で曽祖父から溺愛されて育ちました。

 曽祖父が亡くなった後、家が衰退していき、父は高校を中退して祖父が始めた漁師の手伝いをすることになってしまいました。エンジンが父にしかかけられなかったそうです。しかしうまくいかず、教えを知ったばかりの父が生長の家の話を祖父にしても、そんな神様みたいな事を言うなと嫌い、とうとうノイローゼになり、工業用のアルコールを飲んで、倒れました。

 父は診療所まで祖父をおぶって運び助けを求めたのですが、医師は酔っ払いの相手は出来んと追い返し、何の処置もされず、家に戻った祖父は亡くなりました。父が21歳の時です。自殺なのか事故なのか判らないままでした。


 父は祖母が祖父の言う事を聞かない冷たい女だから祖父が自殺したと、祖母を心で責めたそうです。


 生長の家を学んで、神様の完全円満の世界(実相世界)と現実に起こった父親の非業の死(現象世界)の違いを理解したくて、毎朝みずごりをして生命の実相を読み、神想観、聖経読誦に励み、誌友会に入会して青年会のお役も受けて、生長の家の信仰を熱心にしていたそうです。
 

 大手のセメント会社の研究員として仕事にも恵まれ、母とお見合い結婚をした後は、二人の男の子を授かり、自宅で誌友会を開き、患っていた狭心症も癒されて、表面的には幸せな日々を送っていたそうです。


 しかし、私が生まれて間もなく、父は全てに自暴自棄になりました。


どんなに生長の家を信仰しても、祖母との仲は良くならず、お酒を飲んで暴れる、酒乱になってしまい、トラブル続きで、仕事も生長の家も辞めてしまいました。


 父は男の子三人が欲しかったと母に言い、1歳になった私を子供の居ない親戚に多額の結納金?と引き換えに養女に出そうとしました。

  
 
 養女に出されかけた話を、私は父から4歳の時に聞かされて、この世界が崩れるような衝撃を今でもはっきり覚えています。


 父は「女はいらんと思って、博久さんの子なら優秀に違いないから、どうしても子供が欲しいち言われたけ、お前をやろうと思ったんやけど、敏子(母)がお前を抱きしめて、放さなんかったけ、静岡からお前を向かえに来とったんやけど、泣く泣く帰って行った。醤油工場の社長やったけ、行っとたらお前は金持ちの子やったんやけど、幸江は良い子に育ったから、あげなくて良かった」と言われました。 

 4歳になったばかりの私ですが、父の言葉は充分理解できました。 「良い子じゃなかったらすてられる?」 充分すぎるコンプレックスを抱え、父に甘える事が出来なくなりました。


 お酒を飲んでない時は、仕事が出来て、やさしい父。「幸江、笑ったら美人になるぞ、いっつも笑っとけよ」と良く言われました。
 
 私の話もよく聞いてくれて、正しい事をすると、認めて、褒めてくれました。 かけっこが早く、成績も兄達よりも良かったので、父は私の自慢ばかり人にしていました。

 しかし、深酒すると、祖父、両親、妻、再就職した会社の上司を罵って、暴れて、苦しみながら、「俺は生長の家を辞めた。喧嘩して生命の実相40巻と聖典を燃やしてしまった。取り返しがつかん」と必ず言って、時には泣いていました。

「生長の家って、なんだろう、宗教やろうけど、おとうさんをこれだけ苦しめて、おとうさんはなんで辞めたんやろう?」私の疑問は深まるばかりでした。

 母は父とお見合いをした時、長身でハンサムな父に一目ぼれ、父が好きでたまらなかったそうです。父がどんなに荒れ狂っても私さえ我慢すればいいと、辛抱して三人の子供をやさしく育ててくれました。

 母は父の心配でいつも心が一杯でした。 私は暴れる父から母を守っていました。 母は私に頼っていましたので、私は自分を強い人間だと思い込もうとしていました。


 私が高校3年の時、胃潰瘍で倒れた父は手術を受けて回復しました。
 間もなく、母と二人で、三日間外出して、驚く程、明るくなって帰ってきました。
 父は母と一緒に生長の家の北九州練成会を受けて、生長の家に再入信したのでした。

 そして、「理想世界」誌を私にくれて、「お前なら、生長の家が判る、お前にだけは、教えてやる」と言われました。 

 丁度、同じ頃、私は教師になる夢を持っていたのですが、父から女は大学に行くなと言われて、大学進学を諦めていました。
 猛勉強をして推薦をもらえるまで努力して、父を説得したのですがダメでした。奨学金を受けて自分で行くといってもダメで、遂に母がそんなに行きたいなら行きなさいと言ってくれたのですが、母に又苦労をさせる事だけはできない。
 

 生命の実相40巻を買い揃えて、父は一心不乱に読み始めました。
 私は父がこだわり続けた生長の家を再び学ぶ事は、喜びと、恐れの入り混じった表現の仕様のない気持ちでした。
 


 しかし、父の唱える招神歌を初めて聞いた時、あまりの美しさ神々しさに、生長の家は素晴らしい宗教だと直感しました。

 
甘露の法雨の素晴らしさに涙が溢れて止まらない。

 家族で出かけた事が無かったので両親と誌友会、講習会に出かける事も嬉しかった。

 早朝神想観も一緒にするようになりました。 これから、素晴らしい生活が始まると思いました。

 しかし、就職しても、一日めからやけどを負い、ミスばかりで何も出来なくなり、辞めなければならなくなりました。

 私はお父さんに本当の感謝が出来ていない。感謝したい。 ゆには練成道場の一般練成会に行きました。

 しかし、私は非常に強い霊媒体質だったらしく、ゆには練成会で激しいケミカライゼーション(運命の自壊作用)起きてしまいました。 私の魂は急激な霊的転換に対応しきれなかったのです。

 

 非業の死をとげた祖父、鉄道に飛び込んで体がバラバラになって死んだ母の妹。次から次に先祖が現れ、その苦しみが私の心と体にダイレクトに伝わりました。死んだ方がましだと思うくらい苦しかった。

 流産児がその悲しみ苦しみを訴える。私はかわいそうで、かわいそうで、みんなを抱きしめたい。でも、堕胎している大人がすぐに判り、憎しみをおさえきれない。

 大好きな母、私には天女のようにやさしくて、愛情を注いでくれた母にも4人の流産児がありました。私は兄弟姉妹の犠牲の上に母の愛を独り占めしてきたのかと思うと、申し訳なくて、生きている事が罪なように感じてくるしかった。

 私はゆには練成の先生に「ゆきちゃん、あんた死ぬよ」と言われました。「生長の家で魂を鍛えなさい。あなたの魂は珍しい程真っ白なんよ。長期生になって、魂を高めなさい。」と、修行させてくださいました。


 私は、意識が錯乱して荒れ狂う時と、正気で明るく元気に仕事の出来る自分が交互に現れました。

 生長の家の多くの先生方に愛され、導かれました。
 
しかし、生長の家を学べば、学ぶほど、父を憎みました。

 父が生長の家を辞めなければ、母が流産児をつくらなければ、私がこんな苦しい目にあわずにすんだのに。

 なにも信じられなくなり、家にも、道場にも帰らず、さ迷いました。


 警察に保護され、入院した時、私の脳波はめちゃくちゃでした。


 家に連れ戻されて、暴れ狂い、40度の熱が続き倒れました。両親が交代で、甘露の法雨を読んでくれました。


 私が、病気になった時、父は講師に、「全て私の責任です。私が悪いんです」と、言っていましたが、横で聞いていて、うそ臭く感じ、腹が経ちました。


 しかし、今、甘露の法雨を一心に読む父の真が伝わって来ました。

 そして「幸江、人に迷惑をかけては、いけんよ。」と、やさしくいいました。


 初めて、もう、狂うのは止めよう。と思いました。 

 生長の家にも迷惑を掛けて悪かったと思いました。 

 
 そのとたん、私の体から、白く輝くにこにこした人達が、一気に抜けて空に昇って行きました。


 私に憑いていた多くの方々が、私の心が変わるのを待って、成仏したのです。 

  そして、私は正気にもどりました。

 これが、私が生長の家を学んだ、最初の体験です。
Posted by a177943838 at 23:26:15Comments(9)TrackBack(0)

谷口雅宣先生ありがとうございます

2006-09-17
 9月11日の谷口雅宣先生のブログ小閑雑感の「受精卵を壊さない道(3)」で成人幹細胞の研究が進み移植医療の明るいニュースを拝見させていただいた反面、受精卵を壊さずにES細胞を作れるニュースはデタラメであったと教えていただきました。


 このブログにコメントされた方が、受精卵を使った研究があったから成人幹細胞の研究につながり、「無駄な事はない」と書き込まれていたのに反論しました。


 私のブログの「みかちゃんありがとう」を載せた同じ9月11日。偶然ではナイと思い、勇気を出して、「人として生まれる使命を持った受精卵を利用するのは絶対に許されない」とコメントしました。



 ありがたい事に谷口雅宣先生よりお返事をいただきました。勇気を出して書き込んで良かった。


 人類に見えない命に対する思いやりが少しでもあれば、はじめから成人幹細胞の研究が活発になされていたと思います。


 生まれて来れなかった命に対して人は鈍感になりすぎてはいないか。 

 

 生まれて来た子供が親を殺し、愛する為に産んだ子を親が殺す。 酒に酔った人が車で人を殺す。


 そんな事に慣らされて、鈍感になっている今、全ての命を慈しむ愛を表現する強い信仰を持ちたいと切に願う。

 
Posted by a177943838 at 17:00:39Comments(5)TrackBack(10)

あきちゃんは神の子(2)

2006-09-16
 今朝、あきちゃんが起きてきた時も「神の子のあきちゃんおはようございまーす!」とあいさつをしました。

 学校に行く時握手をして拝むのは昔からの習慣だったが、今日から「神の子のあきちゃんいってらっしゃーい!」の言葉がけを思いついた。 あきちゃんの目がキラキラっとする。 笑顔で学校に行った。

 今日はあきちゃんだけに言ったけど、明日はみんなにも言って、拝もう。 楽しみだなあ。
Posted by a177943838 at 20:46:06Comments(0)TrackBack(0)

あきちゃんは神の子

2006-09-15
 あきちゃんは 中学1年、バスケに夢中。 授業中もバスケのことばかり考えているそうな。 忘れ物が多いんですよ。 先生に何も言われなかったら、何もしない。 いわれても、何もしない。 机は荒れ放題。

 でも部活のユニホームの申し込みまで忘れて、会計のお母さんから電話があった。

 激怒!! 「コラーー!!あきとし! なんしよるんね!いいかげんにしっかりせんか!」

 口の達者な長男もありとあらゆる罵詈雑言。 バスケを愛してしっかりチームのことも、家族の事も大切に考えてる長男は昭利のいいかげんさが理解できない。 


今日も制服がベットの上に丸めて置いてあった。

 合掌して拝んだ。

 長男が「おかあさんなんしょん」と聞くので、「あきちゃんの神の子を拝みよるんよ。」 と答えた。

 制服をハンガーにかけてトイレから出てきたあきちゃんに言った。

 「あきちゃんは神の子さん、酒井神の子さ〜ん!   は〜い!」

 笑って見ていたあきちゃん。

 「そう言えば、あきちゃんに神の子さん!て、言った事なかったね。」

「うん、無いよ」

「お兄ちゃんやお姉ちゃんにはいつも言ってたんやけど、ごめんね。」

「うん」
 

あきちゃんが赤ちゃんの時も、生長の家の活動に夢中で人のお世話ばかりしていた。自分の子の心配をする暇が無かった。

 長男も人一倍手のかかる子で私に甘えてばかりだった。 生長の家で教わった、(下の子が小さい時はまず上の子からかわいがりなさい、下の子をかわいがります。)を徹底して実践、(長男のエネルギーが強くてあきちゃんが遠慮していたとしか思えない)あきちゃんはいつもニコニコして手のかからない子だった。

 私の思惑通り、長男はこの上なくあきちゃんをかわいがった。四人目の彩衣ちゃんが生まれても長女、長男が下二人のめんどうを見て、かわいがる。 それで良いと思っていた。 

 共稼ぎになって、彩衣ちゃんは二歳で保育園に行かせたので彩衣ちゃんばかり心配しいた。 仕事も忙しく、 まだ小学二年生だったあきちゃんの寂しさに気付いてあげなかった。(つい最近、僕も寂しかったよ。と、言っていた)

 あきちゃんはおとなしく、自己主張しなかった。顔が私にそっくりで自分と同じ人格のような錯覚をしていたのではないか。


中一になって反抗も逞しくしてくる。  あきちゃんはこの世界でオンリーワン!たった一人の大切な神の子あきちゃんありがとうございます。

公開讃嘆日記……。
 
Posted by a177943838 at 02:06:30Comments(5)TrackBack(10)

みかちゃん、ありがとう

2006-09-11
45158.jpg  長女の望加(みか)が生高連の交代式(卒業式)に行きました。 「今までよくがんばったね。」「私、何もしとらんよ。」いや〜してるよ。 毎日のように家庭訪問にいったり、学園祭に環境問題と日本精神の素晴らしさをコラボさせた見事な展示をしたり。 おとなしく、芯が強く、ちょっと覚めたような彼女は生高連でクールなお姉さんだったらしく、 若者らしい乗りで活動しない。 良く考えて行動して、周りに流されない。
 
 
 そして、彼女がこの夏の高校生練成会でこのような感想文を書いていました。


 「今回の練成会は、本当に楽しかったです。初日から四日目までの講話で学んだ事は、常に自分を信じ、神を信じ、明るく前向きに何事にも全力を発揮していくということ 、そして私の命はご先祖様の
父母の愛を受けて生まれ、天皇陛下の無私の御心で今の日本があるのだなと、感動と感謝の連続でした。 家に帰ったら家族に感謝の言葉を言い、今日からさっそく祈りを実践します。」


そんな彼女がお腹に宿った時、妊娠初期で大出血、繊毛のような肉片も落ちて、病院に駆け込むと、もうダメだからお腹を掃除しましょうと言われました。 診察台から飛び降りて、泣いて抵抗しました。 「あなたね、もしも奇跡が起きて助かっても99%奇形児だよ。」と宣言されました。


 奇形児でも良い、神の子は神が育てる。 主人も優しく、大丈夫だ!と二人とも、子供の命を信じる事ができました。
 神想観、聖経読誦、「私は神の子完全円満、これから毎日あらゆる点で一層良くなる。ますます良くなる。どんどんよくなる。 大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫!」 唱えつづけまして、ゆには練成会にも参加して、少しも心配しませんでした。

 そして、お腹が大きくなるから生きている!と喜んで、最初の病院に行きませんでした。五ヶ月になって、ようやく別の病院に行き、何も言わずに診察を受けました。 「元気な赤ちゃんですよ〜」五体満足な立派な赤ちゃんがちゃんと育っていました。 神の子は神が育てる。 間違いない!

 神の子の使命を唯生きる、みかちゃん、ありがとう!  
Posted by a177943838 at 03:54:02Comments(3)TrackBack(0)

レジ袋削減

2006-09-07
 毎日会社帰りに22時まで開いているスーパーで買い物をする。

 布製の大きな手提げ袋を二枚用意して、両肩に担いで持ち帰る。 夜きまった時間にいくのでアルバイトの店員さんとすぐに親しくなる。

 「レジ袋いりません」と言いつづけいるおばさんを覚えたら君は一人前。 地球の環境を良くする為に貰わないのよ。 と言うと「はあ」とうなづいていた。

 9月1日からレジ袋を貰わないと、サービスポイントが3点つくようになった。 酒井さん努力が実りましたね。 と言われた。 ハハハ!
 そうね、素晴らしいね、レジ袋を貰わない人増えたみたいね。 ありがとう。 でもね、私は物が欲しくてやってるんじゃないよ。 君の孫が美しい地球で夢を描いて、実現できる地球を残したいからやってるのよ。

 北九州市は7月1日からプラごみの分別有料化も始まって、どの家庭も当たり前にルールを守って、資源化ステーションに持ち出している。 

 一人ひとりの意識が自然に地球に感謝する生き方になる事、自然に美しい行動のとれる人達が本来の人間の姿だから、必ず良くなる、良くなるしかないと願い、唯神実相の世界を実現するために今日も私はマイバックを担いで帰ります。
Posted by a177943838 at 02:57:00Comments(2)TrackBack(0)

インターネットで生長の家を学ぶ

2006-09-06
 交通事故の怪我で休職していた主人が9月1日から会社に復帰しました。不自由ながらも元気に働いています。 皆様の御愛念のおかげです。 心から感謝いたします。 ありがとうございます。


 インターネットのおかげで私は生長の家の信仰を深める事ができました。

 6年前主人がリストラに遭い、私も会社勤めをしなければならなくなり、生長の家は休日のみの活動になりました。ヤングミセスの対策部長の時は365日生長の家に捧げきるような生活をしていましたが、 仕事と家庭と生長の家を完璧にこなす事は困難を極めました。
 思い通りにならない辛さと、生長の家に対する風評に迷い苦しみました。
 毎日送られてくる雅宣先生のメッセージをどうしても毎日読みたくて、昨年の12月にパソコンを購入しました。

 毎日谷口雅宣先生のブログ「小閑雑感」と「日々の祈り」を読み、過去ログもカテゴリーごとに読み進めていきました。

 谷口雅宣先生は自由で思いやりに満ちていて、小閑雑感と日々の祈りは、一対の神様からのメッセージだと思いました。 以前はどちらも違和感があって、読むと苦しかったのです。 

 それは唯、自分がカルト的に生長の家をマニュアル化していたにすぎず、雅宣先生のブログは、信徒が自分自身に自分でかけたマインドコントロールを解いてくださっているのだと思いました。
 
 その事に気がついて、雅宣先生の日々の祈りを拝読させて頂くと、そのやさしさ、暖かさにびっくりしました。 
 
 私の生長の家に対する理解が深まったのはもう一人、堀浩二さんのブログ「悦びの広場 堀浩二」と出会ったおかげです。、自分の名前と顔を公表して堂々と生長の家の信仰に誇りを持って日々の生活を生きて行く事の楽しさ、素晴らしさに感銘しました。

 生教会会員のページ「のびのび広場」で、自分が書き込んだコメントを読んで、主人を神の子と観ていない自分に気付いて愕然としました。 主人の不幸は私のせいだったと思うと、申し訳なくて、主人の目も合わせられませんでした。 そんな時、楠本加美野先生の「人生問題を如何に解決するのか」の質疑応答のHPが開設され、思わず書き込みをしてしまい、次の日にありがたいご指導をいただきました。 長年の苦手を克服して、ご先祖様に感謝の「甘露の法雨」の読誦が出来るようになりました。

 主人が明るく前向きになり、リハビリで皿倉山に登ったり、往復20キロの道を歩いたりと、心も体も元気になりました。

 私の頚椎ヘルニアも貧血もすっかり消えてしまいました。

 腹の底から湧き上がる美しい光のような心地よさ。 信仰心からくる全てのものに対する慈しみのこころ。 ありがたさに満たされる。 

 神様、ありがとうございます。
  

 


 
Posted by a177943838 at 06:42:34Comments(6)TrackBack(7)
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