きらめき広場  酒井幸江

 生長の家の神様を信じる仲間や、神様を求めている方と、日々の悦び、心のきらめきを語り合える広場。

白鳩勉強会

2006-11-29
 11月28日10時から北九州道場の白鳩学習会に参加しました。Iさんと支部長さん、支部から4人でいきました。

 私以外はみんなIさんです。ゆかい愉快(笑)

 道場の近くに住んでいるヤングミセスの仲間のKさんにも声を掛けると悦んで生まれたばかりの五人目ちゃんと四番目君を連れて参加されました。

 いつも携帯メールできらめきの感想を頂いています。「酒井さんのブログ凄いです。迷ったり、落ち込んだりしたとき、ちゃんと正しい道に戻してくれて、頑張ろうという勇気をくれます。」

 感激です。

 こんな悦びはありません。生長の家の神様のお導きを信じ、神の御心のままにと祈り続けてブログを続けていきます。

 (Kさんメールつかわせていただきました。事後承諾でお許しを!)

 
 それでは早番なので今から出勤ですがんばるぞ〜。イエイエ、「明るくてボ〜としてるぐらいが良いんですよ」と大和教化部長のご指導でした。 ニコニコ、ニコニコ。
Posted by a177943838 at 08:40:55Comments(10)TrackBack(10)

神の子さんの挨拶

2006-11-26
「神の子の洋輔さん、いってらっしゃい!」

「神の子のゆきえちゃん、いってきます。」

今朝も主人は穏やかな笑顔で出勤しました。

幸せです。こんなに幸せでいいのかな。





私は小さい頃、おとうさんがお酒さえ飲まなければ幸せなのにと思っていました。

父は三ヶ月周期で深酒をして暴れました。飲まない時の父は立派な人格者でした。

だから、飲んで無い時も、いつ飲みだすかも知れない。と、ビクビクしました。

心の休まる時がなかった。



生長の家の信仰をその父から伝えられて、教えを学んで、結婚しました。

みかちゃんがお腹に宿った時、99%奇形児と診断されても、「神の子は神が育てる」と信念をもって感謝して、三正行に徹したら、五体満足に育っていました。

その診断の翌月に、

「貴女はB型肝炎です。すでに抗体があるのですが、不思議な事にウイルスが死なない。よほど強いウイルスですから、疲れないように、用心して行かなければ死にますよ。」と診断されました。


一難去って又一難とはこの事です。

「病気は無い。」

生長の家の真理に勝るものはありません。

私はなんと幸せな神の子さんでしょう。

生長の家をもっと深く学ぶ為に素晴らしい課題をいつも与えていただきました。



みかちゃんが一歳を過ぎた頃、主人が仕事に行き詰まり、悩みだしました。

私の生長の家の本も嫌って、「みんな捨ててしまえ!」と怒り出して、私は途方に暮れました。



「練成に行こう!」


山口県の松陰練成会に飛び込むと、ちょうど父母を語る座談会の最中でした。


途中から入ったのに、本部講師の先生が私の話を聞いて下さいました。

そして、


「貴女はお父さんに甘えた事がないでしょう。お父さんに甘えた事が無い人は、ご主人にも甘える事が出来ません。貴女はご主人に寂しい思いをさせています。

今すぐ実家に帰って、お父さんの肩をもんでごらん。お父さんの背中から、愛情が伝わってきますよ。」


実家に戻って、父の肩を揉みました。

「おとうさん、ありがとう…」


「どうしたんか、洋輔さんと喧嘩したんか?」

「ううん、もう大丈夫。おとうさん、ありがとう。」


実家から帰る時、始めて父に握手をしました。


「お父さん、ありがとう。大好きよ。」


父の手は大きくて、やわらかく、暖かかった。


この日から、父に会うと必ず握手をして、「お父さんありがとう、大好きよ」と、挨拶をするようになりました。





練成会に行くと必ず問題が解決しました。家に戻ると洋輔さんがいつもの優しい洋輔さんに戻っていました。


「洋輔さん、ありがとう。」

17年前のお話です。





さあ、今日も一日神の子として力いっぱい神様の愛を表現していきます。ありがとうございます。
Posted by a177943838 at 08:35:13Comments(0)TrackBack(7)

日時計主義の生活

2006-11-26
私が主人より早く仕事に行く時、主人は私を

「神の子のゆきえちゃん行ってらっしゃい!」

と笑顔で送ってくれます。






子供達も「神の子のにいちゃんおやすみ。」

「神の子のあきとし、おやすみ。」

と、ふざけながらも、楽しそうに挨拶しています。




挨拶に「神の子さん」の言葉がけを始めて、家族がとても穏やかです。




夜の先祖供養で私が「甘露の法雨」を読む間に家族は眠りについています。


神様、みんな一生懸命今日一日を感謝して過ごす事ができました。ありがとうございます。





11月28日は支部の壮年のみんなと白鳩学習会に参加します。

Iさんも悦んで参加してくださいます。みんなで電車に乗って1時間、また楽しいだろうな。


福岡教区壮年層通信が発刊されます。「ひまわり通信」です。Iさんも読書の「素晴らしさ」の投稿をされました。壮年層の仲間の命がより一層輝きますように。



素晴らしい家族、素晴らしい仲間。



日時計主義の生活で生きていこう。
良きことのみ、明るきことのみ、感謝すべき事のみを心にきざんで生きていこう。




一週間、早出、残業で毎日2時間長く働きました。

久しぶりに遅出で出勤すると、家事が楽々でした。短い時間を使って家事をしていたので腕が上ったのかなあ。


鍛えれば、なんでも上手になりますね。



皆様の神の子の命を拝ませていただきます。ありがとうございます。
Posted by a177943838 at 00:26:01Comments(2)TrackBack(10)

信じられないですか

2006-11-18
 会社に元生長の家信者の方がいまして、私に声をかけて来ます。

 先日、私のカステラ売り場に本の入った袋を持ってきました。「酒井さんは熱心だから使ってくれない?」

 頂いてびっくり。ご先祖様の永代供養の「甘露の法雨」と光明実践委員のバッチが入っています。<<重い。本に篭っている心の跡>>。

 彼女(実は青年会の先輩)のお父さんはゆには道場で末期がんが治って、奇跡の生還。

 喜んだおとうさんは事業も成功。親戚一同が生長の家に入信してたそうです。彼女も青年会で活躍して百万運動も命がけで頑張ったそうです。そして青年会員同士で結婚したそうです。

 しかし、お父さんが亡くなって、会社も倒産して親戚一同が生長の家を退会しました。ご主人も精神病にかかり彼女が家計を支えています。違う宗教に入って「因縁をきりたい」と言っていました。

 此の「甘露の法雨」を私が受け取れば、それを手放す事の重みに気付くかも?と思いました。(そんな甘いもんじゃ無い?)

 私の父は18年間生長の家から離れた事で苦しみ抜きました。苦しむ父に育てられ、求道の重みを幼い頃から知っている私は、先輩の気持ちが判らない。

 「酒井さん私の宗教に入りなさい」と言われた事もありましたが、私に全くその気が無いので言わなくなりました。迷って良い。迷っても神の子。迷っている先輩は偽者。神様が良きように導き給う。先輩が幸せならばそれで良い。

 先輩の「甘露の法雨」はIさんと先祖供養に行った日に教化部に引き取ってもらいました。

 
 何があっても、「どうって事、ねえじゃねえかよう!」と、笑い飛ばして、本当の命を神の子の命を唯拝む私でありたい。

 
Posted by a177943838 at 22:38:26Comments(5)TrackBack(0)

主人とお買い物

2006-11-18
  お歳暮の準備と物産展、クリスマスセールが始まってデパートは大忙しです。私はお菓子売り場を担当していて良く売れるので楽しいですよ。  

 主人と私は同じ会社ですがお店が違うんです。私は歩いていけますが、主人はJRで7駅先の小倉まで行ってます。
 今日は珍しく家族全員がお休みで午前中はのんびりしました。
 午後はみかちゃんの高校生誌友会なので子供達に任せて主人と出かけることにしました。

 二人の職場の中間点に全国チェーンの量販店がオープンしたので二人で見に行きました。まだプレオープンなのにお客さんの多さにビックリ。

 デパートとは客層がまるで違うから二人とも疲れきってしまって何も買わずに黒崎まで帰って来て、私の職場のデパートに行って主人にチェックのシャツを買いました。とても似合っていて、格好良くなりました。

 私達のお店がいいね。落ち着くね。大切な職場。愛する職場。
 
 自分のお店で買い物をしていると、昔生長の家の先生が言ってた事を思い出しました。<<デパートの品物はみんな私の物よ。ただ手元に置いて無いだけ。必要な物が必要なだけあれば良い。と思ったら、物が欲しくなくなったのよ。>>


 高級な品物を大切に使ってくださるお客様に祝福の笑顔と冷静な接客を心がけて仕事をさせて頂くことの悦びに感謝して、明日も悦んで働こう。
Posted by a177943838 at 17:33:22Comments(0)TrackBack(11)

みかちゃんの決断

2006-11-17
「東京に行きたい!東京の専門学校に行きたい。」

「アナウンサーになりたい。でも来年は行かん。さえちゃんが小さいけ、私がめんどうを見んといけんやろ。一年間バイトして上京資金を貯めて行くけ。」


そうよね。単位制高校に入学したのも声優になる夢があったからやもんね。夢が声優からアナウンサーになったんやね。高校の間バイトをして資金を貯めたいと言ってたのに、夕方は兄弟のご飯の支度をして、休みの日は青年会を優先して自分の事は後回しだったもんね。みかちゃんに甘えてばかりでごめんね。

大学に行くと言って居た事もありました。すぐに変更して、私が怒ったら、「お母さんが喜んだから、大学の方が良いのかと思ったんよ。でも私は行きたくない。」

私はみかちゃんに、「おかあさんにとっての良い子」を望んでいたんだ。きつかったろうなあ。ごめんね。でもみかちゃんは私のプレッシャーなんか軽く超えてくれる。青年会でしっかりと学んで、自分自身の力でヒョイと軽やかに頼もしく。


みかちゃん、ごめんね。家の手伝いばかりさせて。


みかちゃんは巣立ちを一年伸ばしてくれました。子離れの準備ができていない私の為に。
Posted by a177943838 at 23:07:16Comments(2)TrackBack(10)

いじめられても…

2006-11-14
 子供の頃のあだ名を思い出した。この頃素直な心でのんびり過ごしていると、子供の頃の映像が心の中にフーと蘇る。今まで幼い頃の事を殆ど思い出さなかったのに…。ゆとりが無かっただけだったんだなあ。

 小学校6年間「女番長、おとこおんな」が私のあだ名だった。いじめられている子を助けていたから。


 運動がずば抜けて得意で、明るくて正義感もあった。おっちょこちょいで涙もろい。そんな子供だった。


 いじめられっ子を助けても、それで私がいじめられる事はなかった。正しい事を正しくできた。



 田舎から都会の高校に行って世界が一変した。不良グループが当たり前のように悪さをする。成績が悪くなくて、お金持ちの家の子が居ない当時の県立商業高校はなんともやる気の無い雰囲気があった。大嫌いだった。
 
 自分が激しく嫌うと人から嫌われる。

 一年の二学期、喫煙して停学になったグループに、私が告げ口したせい(私はなにも知らない)で先生にばれたんだと誤解され、いじめの標的にされた。


 なのに学級委員長に選ばれた。いじめられている相手の世話。

 その頃、私は生長の家を知らなかった。しかし、「あの人達にもきっといい所がある。私が嫌ったから嫌われたんだ。きっと判ってくれる」と自分に言い聞かせた。

 二年の夏のキャンプの登山の時、班員が殆どいじめグループの中、班長にさせられた。登山の時、途中で大雨になった。班の一人が雨合羽を持って居なかった。おまけに熱を出した。私は自分の合羽を着せて、他の子達を先に降ろして、熱を出した子を抱かかえて下山した。

 それっきり、一年間近く続いた私へのいじめは一切無くなった。


 ハッピーエンド?

 いえいえ、私は疲れた。

 空しさを感じた。
 
 一年間、頑張っただけに疲れ切ってしまった。

 みんな、嫌いだ。



 倫理の時間に偉人のレポートを出す事になり、私はお釈迦様を選んだ。

 仏教が葬式の為では無く、人の心を救う為のものだと初めて知った。夢中で学んだ。

 お釈迦様はこんなに素晴らしいのになぜ、人間は今も苦しんでるんだろう。

 
 高校三年の夏、父が生長の家に再入信して、答えを見つける事が出来た。


 「人間は神の子である。罪は無い。病は無い。悪は無い。」

 
 高校生活は冬の様だったが、生長の家に導かれるために必要な学びだった。私の心に春が訪れた。

 高校のクラスメートのみんな、ありがとうみーんな神の子。素晴らしい神の子です。


 皆様の神の命を拝ませて頂きます。ありがとうがざいます。



 

 
 
Posted by a177943838 at 14:23:01Comments(4)TrackBack(11)

Iさんと先祖供養祭にいきました。

2006-11-09
 毎月8日は福岡教区の先祖供養祭です。

 私の母親教室に通ってくだっさているIさんは五年前、生長の家にお誘いして、ヤングミセスの集いに来て下さり、(幼い時に亡くなられたお祖母さまが生長の家の信者だったそうです)二年前、白鳩会員になって下さいました。

 毎月欠かさず霊拝を出されて供養されていましたが、体が不自由でご主人から人に迷惑になるからと生長の家の講演会等に行く事は殆ど許可が出ませんでした。

 先日、思い切って生長の家の行事に参加する事は無我の行ですよ。とお誘いしましたら、ご主人から心よくOKが出て、二人で初めて先祖供養祭に参加する為に教化部に行きました。

 五年前に総本山の練成会に参加された事がありましたが、その時は体が始終震えて歩くのも儘成らなず、言葉も聞き取る事が難しかった。

 昨年の暮れ、症状が悪化して寝たきりを覚悟される程でした。私がインターネットを始めたのも、Iさんの病気が先進医療の領域でIさんから生長の家の考え方を質問されて良く答えられず、講師勉強会で教化部長先生に詳しく教えて頂いて、Iさんのためにも、もっと深く自分が学ばなければとの思いも強くありました。Iさんが母親教室に来られない時、唯Iさんの完全円満を祈るしかありませんでした。

 一度は寝たきりを覚悟したIさんでしたが、立ち上がり、ご主人にお願いして、リハビリに行かれるようになり、投薬の調整もお医者様に任せず、自分でコントロールできるようになり、リハビリの効果が素晴らしく出てきました。
 
 今日も杖をリズミカルに蹴りながら私より早く歩きます。

 あるとき風船を紐に結んで上着のボタンに留めてボールを蹴るとスムーズに歩ける事を発見してリハビリのドクターに話されたそうですがとても感心されたそうです。新しいリハビリの方法になるかも?

 Iさんの病気は発病して17年の命と言われているそうです。
 Iさんも発病して今年で17年目なのに、生命力に溢れていらっしゃる。元気で明るくて、ユーモアに溢れてて。寝たきりを覚悟したIさんはどこへ?


 じゃべりにくいからごめんなさいねと言いながら、電車の中で面白いお話を沢山してくださって、DSや携帯の右脳トレーニングのゲームも教えて頂いて、往復4時間の教化部への道のりが遠足のように楽しくてしょうがなかった。



 先祖供養祭を終えた時、かわいがってくれたお祖母さんを偲んで、

 「私は小さかったけれど、おばあさんのおかげで生長の家の土台を作って頂いてたんですね。」と、とても感謝されていました。


 帰りに壮年層対策部長も声を掛けて下さって、Iさんが初めて教化部に来られた事をとてもよろこんで祝福してくださいました。



 「介助しなきゃ」と緊張していた私の心配は全くいらなかったんです。Iさんは純粋で博識でお話もとても上手で魅力溢れる方です。

 Iさんが素晴らしい講師に成られる日も近い未来に実現するのではないだろうかと思わずには居られない悦びに溢れる一日でした。
Posted by a177943838 at 23:06:25Comments(7)TrackBack(8)

伝道がきっかけで結婚しました

2006-11-07
 父の読んでくれた「甘露の法雨」のおかげで、すっかり正気に戻った私は、まだ20歳になったばかりでした。凄まじい霊媒体験でした。8ヶ月間、私は半分霊界に住んでいました。暴れている自分を体の上から見ている自分があり、霊魂が体から離れて戻って来れなくなるかもしれない状態でした。それが、今は、ゆには道場を退職されましたが、私を救って下さった佐古野恵子先生の「ゆきちゃん、あんた死ぬよ」の御指導の言葉になって居たのでしょう。佐古野先生はよく、意識のある時の私に、「ゆきちゃんに頼ってきているご先祖様は悟るとみーんなゆきちゃんを守ってくれるからね」と話してくれました。
 自分の体から天に昇って行った白い着物を着た多くの人たちの幸せそうな笑顔を思い出して、これから私は大丈夫だと思いました。なにがあってもご先祖様が守って下さるから。



 正気に戻って2週間後に大手量販店の事務員として働けるように成りました。半分正気を失っていても、8ヶ月の間練成を受けて、人間神の子の真理を学んでいたので元気に一生懸命働きました。店長からこの子が入って事務所が明るくなったと喜ばれました。

 その頃の私は生長の家の事を考えたくありませんでした。両親が一生懸命信仰をしている安心感もあり、そんなもの忘れて、普通に暮らしたい。普通に成りたいと思っていましたが、霊感のコントロールが出来ないので、会社の人達に憑いているものの気配を始終感じていましたし、赤ちゃんを堕ろしている女性が側に来るとどうしようもなく悲しく、苦しくなりました。仕事は事務と電話交換と店内放送でしたので個室にこもる事が出来るのが救いでした。

 テナントも入っているので派遣社員の方も沢山事務所を訪れました。ある日、今まで見たことも無い綺麗なオーラを持った男性が事務所に入って来ました。あまりにも綺麗なオーラの輝きで周りが見えなくなった程です。交換室に電話をしてきても声が穏やかで聞きほれていました。その人が酒井さん(主人)です。しかし、私はまだ20歳でしたので、ずーと年上で落ち着いている主人は妻帯者だと思っていました。

 一年位、普通に友達と遊んだり、飲みに行って踊ったりしてました。でも空しさを感じました。会社の友達がボーイフレンドの子供が出来て堕ろすかも知れないと言われ、絶対にしてはいけないと止めたのですが、ダメでした。  




 そんな時、谷口雅春先生が神召されました。私は何をしてたんだろう!生長の家より素晴らしいものは無いのに。私が生長の家をしていたら友達を救えたかも知れない。あの赤ちゃんを救えたかも知れない。御免なさい。戻りたい。生長の家に…。


 でも神想観をしたら、また正気を失うかも知れない。甘露の法雨を読んだら、また倒れるかも知れない。自分の為にするんじゃ無い!みんなの為に1ヶ月間やってみよう。恐怖心に打ち勝とう。カレンダーに○を付けて谷口雅春先生のテープをかけて神想観をしました。私の周りの全ての人に感謝して聖経「甘露の法雨」も読みました。

 なんと、ちょうど一ヶ月目の満願の日に青年会の中さんが家庭訪問に来てくださいました。中さんはゆには道場のお手伝いも毎月されていた方なので、私を青年会に誘いに来て下さったのです。私は中さんに飛びついて喜びました。その日に青年会に入会しました。



「理想世界」も真剣に読みました。谷口清超先生のエッセイに、ある女子青年との何年にも渡る手紙のやり取りがありました。霊が見えて錯乱状態になった女性の話でした。
 
 清超先生の素晴らしいご指導の言葉がまるで私に向けられて居るようでした。その女性は神主さんと結婚して幸せに成りました。<<私も結婚出来るかもしれない。幸せになれるかもしれない>>明るく振舞っていましたが、私は親戚から腫れ物に触るような扱いを受けていましたし、自分が気がおかしかった事が世間にしれたら、結婚も出来ないだろうし、霊的に不安定なまま結婚してくれる人は居ないだろうと思っていましたので、その御文章を拝読した時、希望が湧いて来て、

 父に「此処読んで」と本を見せました。

 「お父さん、心配かけてごめんね。これから生長の家を一生懸命勉強するから、幸せに成るから。ごめんね。」

 父も「そうか、そうか…」と言って、二人で泣きました。

 泣くだけ泣いたので、涙を洗おうと思って風呂場に行きました。その時、外は嵐でした。

 ドーンと雷が鳴り響くと、窓の外から真っ白く、まぶしい霊光が入って来ました。時間が止まった様に、スローモーションのように弧を描きながら私の側に来て、その光は左胸にシュッと入りました。

 <<熱い!>>そのとたん、バーンと音が鳴り、「ゆきえちゃん!大丈夫!」と、母が慌てて居間から駆け込んで来ました。

 居間の柱、ちょうど私が立っていた後ろの柱からオレンジ色の火花が散ったのです。

 私は平然として、「大丈夫、これ、神様の光よ。」と答えました。私の中に神様の光がある。この光を一人でも多くの方に伝えなければいけない。神様と供に有る。何でも出来る。静かに思いました。


  
 北九州の青年会の活動拠点の八幡道場に行く為に会社が退けて自宅と反対方向の電車に乗りました。
いつもは青年会の先輩に車で連れて行って頂いていましたが、その日、初めて一人で道場に向かっていました。

 偶然、酒井さん(主人)が前に座っていました。私が「生命の実相」を読んで居ると、「その本、懐かしいなあ」と言いました。「知ってるんですか?」「僕は大学で合気道をする前に愛国同好会に入っていて先輩が生長の家でした。谷口さんの本は何冊か読みましたよ。」私は酒井さんが生長の家を知っていただけでも嬉しくて、話が弾みました。独身だとその時知りました。

 目的の八幡駅を降りると酒井さんも一緒でした。道場の方向が判らなかったので「すみません、生長の家の八幡道場を知りませんか?」と尋ねると、「僕の家の近所ですよ。案内しますよ。急いでるんでしょう。」と言って走ってくれました。「なんて親切な方だろう」一緒に走って感動しました。それから八幡道場に行くと酒井さんの御宅に行って講演会のチラシや講習会のご案内を持って、お誘いしましたが、ニコニコしながら断られていました。

 でも、酒井さんの御宅は料亭をされていて、お母さんから食べて行きなさいとご馳走になりました。宗教の勧誘に来ているのに、親切にされて恐縮しました。酒井さんのお母さんから、「貴女がくれた(光の泉)にとても良い事が書いていたわ。ありがとう。」と言って頂きました。


 会社の中で所構わず愛行しました。私の会社の初代の社長のお嬢さんは生長の家の養心女子学園を卒業されていて、店長は好意的でしたが、その店長が転勤されて、新しい店長から目をつけられました。日曜、祭日に休めない事もあり、自分がお誘いした講演会に自分が行けないのも辛くて、転職しました。酒井さんも転勤で居なくなりました。



 私が青年会活動に夢中になれば成るほど、父の酒乱が再発しました。母はおろおろ悲しむばかりでした。兄と父の喧嘩も激しかった、兄達は私のかつての凄まじい狂乱振りと再発した父の酒乱に生長の家を疑っていました。いつか判る日が来る。私が頑張れば良い。自分の問題は置いといて、青年会の活動に打ち込みました。


 初めて任された講演会の後の休日に久しぶりに自分の時間が出来たのでスカートでも買おうと思って元の職場のお店に行きました。

 すると、酒井さんがお店に居るではないですか。私はお誘いのチラシを持っていたので、酒井さんに笑顔で近づいて、「こんにちは、久しぶりです。講演会に来ませんか。」と、以前のように声を掛けました。酒井さんはビックリして飛び上がりました。

「中野さんこそどうしたんですか!」「いや〜、スカートを買おうと思いまして」「チョットまってください。僕、もうすぐ仕事が退けますから、食事でも行きませんか!」「はあ〜、ひまですし、良いですよ。」

酒井さんも休み交代で偶然が重なった再会でした。
初めて一緒に食事をして、交際を申し込まれました。

しばらくしてプロポーズされましたが、

私は、自分の過去に酷い事があった事、まだ不安定になる事を正直に打ち明けました。家族もバラバラで父は酒乱で苦しんで居る事も打ち明けました。すると、

「そんな事関係ない。今、生長の家で輝いている貴女と結婚したい」と言ってくれました。

そして私は23歳で結婚しました。

 主人は34歳になって自分の結婚を初めて考えた時、真っ先に私が浮かんで、でも、もう会えないなあと思っていた矢先に私と再会したので本当に驚いたらしいのです。

 不思議な導きと周囲の祝福を受けて結婚しました。


 自分の事を置いといて、青年会活動に打ち込んだ私は輝いて居たのですね。

 洋輔さん、ありがとう。
Posted by a177943838 at 11:55:44Comments(9)TrackBack(0)

屈託ない伝道(愛行)2

2006-11-04
 ヤングミセスを始める前、私は山口県にいました。三番目の子供が授かったのに、義母と主人に産むのを反対されました。11歳年上の主人に子供は二人しか養えないでしょうと義母に言われました。それでひるむ私ではないんです。ゆには練成に行きました。
 主人の実家は二代続いて先妻さんが亡くなって、義母も後入りさんなので、因縁的に三代目の私達の夫婦なかがおかしくなっていたのだとご指導をいただきました。
 山口県小郡から福岡の二日市まで三ヶ月通って感謝の霊牌供養をさせて頂くと、周囲が自然に変わり、当たり前に産んでも良いようになり、出産間際に転勤で福岡に戻ってくる事ができて、祝福されて三番目を出産しました。
 胎教に「生命の実相」を読み聞かせました。分娩室にも持って入って、声を出して読みました。素晴らしい安産で、生むとき気持ちが良かったくらいです。
 主人が何も心配するな大丈夫だ。とはげましてくれました。生まれてきたあきちゃんはおとなしくて笑顔がすばらしくて、義母もとてもかわいがってくれました。不思議な事に義父の先妻さんの命日に昭利は生まれました。ご先祖様の祝福を頂いているのですね。
 主人の仕事も順調で悦び一杯でした。
 当時の教化部長の勧めでヤングミセスの集いを立ち上げる事になり、あきちゃんが生まれて27日めに福岡ヤングミセスは始まりました。私の悦びパワーで伝道しまくりました。


 子供の幼稚園のお友達のお母さん、ご近所の方、生長の家の信徒の二代目さんに声をかけまくって、強く元気に伝道して、ヤングのリーダーさんもどんどん誕生しました。中には離れていく方もいましたが、多くの方はますます幸せになりました。


 しかし我家はだんだん窮地に陥って行きまして、ご存知の通り、フルタイムで働きだしたり、信仰に行き詰まりを感じて体調も最悪の状態でした。


 それでも信仰しつづけ、伝道をして、子供達も教えを学び、一生懸命にがんばっていたけれどしんどかった。そりゃあしんどかった。しんどくて良かった。此処を乗り越えたから、今の悦びがあります。



 今のように屈託無く伝道できるのは、何度も言ってるけれど、谷口雅宣先生の小閑雑感に感動して心が悦びに満たされたからです。そして、インターネットで皆様と悦びの言葉で自分自身が日々浄化されているおかげさまです。ありがとうございます。


 今日もヤングミセスの集いに参加されていたFさんがお菓子を買いにお店に来てくれたので、白鳩誌を手渡しました。10年前壮絶な愛憎劇に巻き込まれ、必死で伝道しましたが、教えから離れた方でした。大きくなった娘さんと親愛の笑顔を向けて下さる。もちろん「白鳩」を手渡して「白鳩読んでね。またね!」笑顔で手を振る幸せ。


 帰りのバスの中で去年、会社の健康診断で一緒になったkさんに会いました。阪神大震災で家と仕事を失って、北九州まで流れて来て、自分は此処に就職したけれどご主人に仕事が無く、家庭内別居状態だと身の上話を聞かされていました。部署が離れて居るし、滅多にお会いしない方なので久しぶりでしたお会いしました。ご主人はいまだ職がなくて、自分は休日は点滴に行っていると言ってきたので、「白鳩」が無かったので「光の泉」を差し上げて、「生長の家の本です。是非お読み下さい。」と手渡しました。私はすぐに降りるのでゆっくりお話できませんでしたが、バスから降りてKさんに満面の笑顔で手を振りました。幸せが私の中に溢れました。


 この所、先祖供養の最中に眠くなって、座ったまま3時間ぐらい経っていたりしました。ご先祖様に申し訳が無い。どうしましょうと悩んでいました。

 昨日の講師会で大和教化部長が福岡県の全ての方々へ甘露の法雨を333巻捧げましょうとご指導がありました。
 以前から取り組んでいましたが、私は34巻しか読んでいませんでした。

 大和先生のご指導で「真理6巻 人生編」は心と物の使い方、心の演じ方が判る本です。癖を知る事が大切で、肉体は笑顔でトレーニングできる。心は言葉で磨く。どのような姿が現れてもあの人は素晴らしいと心に描く事が大切だと教えて頂きました。

 さっそく「私は真心こめてよろこんでご先祖様に甘露の法雨を捧げます。そして福岡県の皆様の神の子の命に感謝して甘露の法雨を捧げます。」と唱えて先祖供養も祝福の甘露の法雨読誦も気持ち良く読めました。
 Aさんの笑顔、Fさんの、Kさんの笑顔を思い浮かべて幸せに溢れた甘露の法雨読誦になりました。

 自他一体の悦びに溢れる今日に感謝します。ありがとうございます。
Posted by a177943838 at 03:41:44Comments(3)TrackBack(11)

屈託ない伝道(愛行)

2006-11-03
 13年前この公団に入った時、同じ階のAさんに嫌われていました。当時の私は三人目の子供がお腹に居て、二人の子供とやさしい主人、幸せそうな姿をしてたんだろうなあ。当時、エレベーターでAさんに会ってにこやかに挨拶しても、口をきゅっと結んだままそっぽを向かれました。時には、睨み付けられました。


 素敵なご主人がいて、若くて長身の美人。いつも身奇麗にして仕事も持っているAさん。時々夜中にご主人が思いつめた顔をして、車の中でタバコを吸っていたのを見かけました。喧嘩でもしたのかしらんと思って、お二人の調和した姿を祈り、白鳩誌をポスト愛行しました。


 五年前のある日、Aさんのほうからにこやかに挨拶をしてきました。おめでたらしくて嬉しくてたまらない様でした。子沢山の私はそれだけで嫌われてたんだとその時初めて知りました。Aさんはかわいい女の子を授かりました。ご両親が同じ公団に居るので子育てをしながらお仕事を続けていました。Aさんは尖った雰囲気がまだあって、生長の家のお話は直接した事はありませんでした。


 8月の青少年練成会で英彦山に登って、霊山のパワーを吸収して霊的高揚に悦びが溢れて帰ってきて、元気に近所のスーパーに買い物に行きました。いつもの様に大きなエコバックを二つ両肩に担いでニコニコしながら帰って居ると、Aさんに会いました。

 「私は生長の家の母親教室で子育てのお勉強をしてるのよ」と初めて話しました。Aさんから、「お宅のお子さんはそれでどこか違うんですね」と言われました。

 そして昨日、飲み会帰りのAさんにお会いした時、白鳩を持って居たので、「これ、読んでね」と手渡しました。「ありがとうございます」Aさんのはじける程うれしそうな笑顔。

 屈託なく、計らい心の無い愛行の素晴らしさを13年かけて私がAさんに教えて頂きました。

 
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