ブログは日記
2007-01-31
日時計日記を一ヶ月書くことができました。
幸江ちゃん偉い!
きらめき広場も日記ですものもっと素直にそのままの心で書いて行こうと思います。
鼻で呼吸するのは気持ちいいですね。
子供の頃から鼻が詰まってました。
口で息をするから喉を痛めてしょっちゅう風邪をひいていました。
自慢の花粉症さんも18歳から大事に養ってきましたがいつの間にか居なくなりました。
谷口清超先生の御文章のおかげです。
呼吸は鼻ですればいいんですね。
口ではなかったのね。
病気ってこんなもんで治るのね。
矛盾のない生活を
2007-01-31
お菓子売り場がすっかりチョコレート一色になりました。この綺麗に着飾ったチョコレート達がひとつも残らずにお嫁にいってほしいものです。
過剰包装と真心のプレゼントの境界線を思うと複雑な商売です。包装文化はそのうち無くなる運命かもしれません。エコかっこ悪いことですからね。
デパートの存在意義も危ういかもしれません。
そういえば、生長の家で病気が治るとお医者様が困るんじゃないですかと、質問される方が少なくなかったですね。
それが今では、そのお医者様が心が変われば病気が治る治療をしているのですもの。あの頃予想もシナカッタ。
環境問題と消費生活が調和ある状態になって行く事を目指してみんなで学び、解決する悦びをもちたいものですね。
老いては子に従え…かな?
2007-01-30
変わって居るかもしれませんが、私は子供に叱られると結構うれしいのです。
子供のほうが何でも上手になっていきます。
若い力はどんどん容赦なく伸びていきます。
「ハイ、ありがとう。ごめんね。また教えてね。」
素直に子供に謝れる私は将来ステキなお祖母ちゃんに成れるかもしれない。
成れるといいなあ。
神様を愛することと…
2007-01-27
母親教室の出講にいきました。
大先輩の先生のお嬢さんがリーダーさんの教室です。緊張して、準備してきたお話が進まなくて、此処はやっぱりお父さんに助けてもらいました。お父さんとの和解のお話をすると落ち着いて実相と現象のお話を今の私の精一杯の力で表現させていただきました。
参加されていた方のお一人が子供の頃から生長の家だったけど講習会に頼み込まれて行ってあげていただけでしたが、10年前、お子さんの問題で生長の家を真剣に学びだしたそうです。
お父さんに感謝したつもりでも、まだ出来ていない自分を知って反省ばかりしていたけれど、在る日心の底からお父さんに愛されていると自覚した時、本当にうれしかったとお話していただきました。
私もお父さんを思うとき、心の中がほかほかします。お父さんを愛する事は神様を愛する事と全くおなじだと思います。
でも、この頃、フト、主人が私を愛してくれている程、私は今まで主人を愛して居なかったかも知れないと気付いて自分の心と向き合いました。
何故こんなに主人は私に良くしてくれるのかなあと新婚の頃は不思議でした。
甘える事が苦手で、生長の家の活動の事しか考えて居ない私をそのまま受け入れて認めて褒めてくれますし、実家の両親の不仲に振り回される私を心配して解決するように応援してくれました。
でも、主人は自分の仕事に不満を抱いていました。首になるかも知れないと恐れていました。子供をどんどん授かるし、生活の不安からなんとか主人に出世してもらいたかったのですが、恐れるものは皆来る。「足りない、足りない」と夫婦の心がお金に縛られていましたので、お金は逃げていきました。
主人の心に添うことを学びました。主人の言う事に間違いは無いと知る事が出来て、お金の心配をしなくなりました。
主人が私を拝んで下さるこの頃、主人の真心にもっと答えたいと、毎日、「日時計日記」に「洋輔さん、私を愛してくれてありがとうございます。私も洋輔さんを愛しています。」と書いています。
何と表現したら良いのでしょうか。夫を神と拝む心。夫を心から尊敬する思い。
父を母を神と拝み、夫を神と拝む。
心は歓喜に満たされる。
拝む為に生まれてきた自分を知る。
この地上に生まれて来たことに心から感謝します。
…全ては神様の御心のままに。
みかちゃんの試験
2007-01-22
21日光明実践委員の試験がありました。
みかちゃんは答案用紙に答えは埋め尽くせたそうです。
貴重な経験をさせて頂きました。
みかちゃんも毎朝神想観をして日時計日記を付けて、ストレッチをして身支度をした後、家族の洗濯、朝食を取って登校していきます。
単位制高校をエンジョイしました。後は卒業を待つばかりです。
高校生活は楽しいの一言だったそうです。
みかちゃんもニコニコ、ルンルン♪
日時計日記でお弁当が充実
2007-01-19
長男が空っぽになったお弁当を出しながら、
「お母さん、野菜が沢山入ってお弁当おいしかったよ。」
(ええ!あんなにお弁当の文句を言っていた君が褒めてくれるの?)
「揚げ物ばっかり入ってる友達にいつも野菜をあげてるよ。おいしいって感激してるよ。」
お弁当は部活や仕事で土日も関係無くほぼ毎日作っています。
長男が高校生になって朝が早いので、以前は冷凍食品に頼っていましたが、日時計日記のスケジュールに朝食、夕食、お弁当の献立を何気なく書き込むようになりだしてバランスの良いノーミートレシピが作れているようです。
会社の休憩時間は私の貴重な学びの時間です。15分でお弁当を食べて残りの時間で日時計日記を昨日の午後以降と今日の午前中の書き込みをして普及誌と機関紙を少し読んで、「叡智の断片」を二項目読んでお昼寝もして友人ともおしゃべりも楽しみます。出講前の勉強も少しづつします。実に充実した休憩時間を過ごしてます。
帰りは今までバスを利用していましたが、益々元気で歩いて帰れるように成りました。バスカード代を節約できるし、少し痩せてきました。ほんのチョットですけど。
いいことばかりの日時計日記です。
ニコニコ、ルンルン♪
Web版日時計日記に行きましたか?
2007-01-15
右側にリンクしています「Web版日時計日記」に投稿するとわくわくドキドキしてきます。
日時計主義の生活をしている方々が読みきれないぐらい百人でも二百人でもどんどんコメントを入れて下さるといいなあ。私は幼子の心で書き込んでいます。
昨日の書き込み(だんな嘆です)
夫様がニコニコしながら、「なんだか心がウキウキするね。良い事ばかりだね」と光の言葉を沢山使ってくれます。私に「神の子の幸江ちゃん、ありがとうございます」と言ってくださいます。見返りを求めずに家族を讃嘆してきましたが、夫様から毎日讃嘆していただけるようになるとは…なんとありがたい事か。夫様、神様、ありがとうございます。
お父さんが逝った後
2007-01-10
父が亡くなってから母は二年間泣き続けました。
「あんなに良い人は居なかった。逝ってからよく判った。もっと仲良くすれば良かった。」
落ち込む母を叔母はカラオケやペン習字の習いごとに連れ出してくれて、少しずつ元気になりました。
母は生前の父の強い命令で今も白鳩会の支部長をしていますが、生長の家の活動よりもカラオケの発表会のほうを優先させていました。
私と母とは父と三角関係にあったのかもしれません。父が逝っ後母と何の話をしていいのか判らないほど、昔から母とは父がどうすれば良くなるのかと、その会話ばかりでした。父と私は生長の家の教えの元に心が一つでしたので二人の世界があったかもしれない。
母が元気で好きな事ができるのは同居している兄夫婦のおかげだと私は陰ながら感謝していました。姪達も母ととても仲良しで母は自分の部屋で一人で寝るのが寂しいので上の子はもう高1にもなるのに孫娘の部屋で三人で一緒に寝ています。 じいちゃんが酔っ払いながらでも生長の家の信仰を信じ続けてくれたおかげで孫達はとても優しくて思いやりの在る子に育っています。
私の五歳上の兄は私が19才の時に分裂症になり治りようも無いほど酷い姿になってしまった事に傷ついていたのだと思います。「何故幸江がこんな苦労をしないといけんのか。おやじが生長の家なんかするからだ」と怒っていました。子供の頃は仲の良い兄妹でしたが、私だけ生長の家の信仰を持った事で兄から距離をおかれていました。
私が実家に帰っても目もあわせてくれませんでした。
ところが、
昨年の7月から私が喜んで先祖供養が出来るようになって兄との仲が一変しました。
お盆の前に電話が懸かり
「洋輔さんが歩けないなら俺が向かえに行くから帰って来いよ。」
ええ〜いきなりどうしたの?
料理上手の義姉がごちそうを作って待ってくれていました。
信じられない程歓迎されてびっくりするやら嬉しいやら。
こんな事があるなんて。
もちろんこのお正月も楽しい新年会を開いてくれました。
兄は私がどんなに苦労をしても生長の家で乗り越えて来た事を褒めてくれました。
そして「俺も生長の家をせないかんなあ。そうなっとんのかなあ」としみじみ話してくれました。
私が変われば世界が変わる。
私の信仰が屈託無くのびのびと悦びに溢れて来た時から、母も叔母も変わりました。
従兄妹の娘のWちゃんのおかげで母も叔母も生長の家の信仰を真剣に行するようになりました。
母は普及誌愛行に行った楽しさを兄に嬉しそうに話しました。
母親と息子の心は深く繋がっているのですね。
お父さん。あなたのおかげでとても幸せです。
お父さんは家族みんなを愛し守ってくれています。
お父さんありがとう。
しあわせだなあ。
ニコニコ♪ ルンルン♪
おとうさんが伝えてくれた生長の家(2)
2007-01-09
平成14年4月25日父は霊界へ旅立ちました。
兄は親孝行をしたかったのだと思います。H12年に家を新築して兄の家族四人と父母との6人家族になりましたが、父は兄との同居のストレスで苦しんでいました。兄夫婦のすること成すことが気に食わず、私が実家に帰ると辛い気持ちを聞かされ続けました。肝硬変でお酒を止められていましたが深酒をして入退院を繰り返していました。
私もいつしか兄夫婦とまともに口も聞けないような状態になりました。
そんな生活の中でも父は毎日神想観と聖経読誦をし続けました。いつ死んでもでもおかしく無いような状態から何度も復活するのでドクターから何か信仰をしていますかと聞かれ「生長の家」をドクターにも同室の患者さんにも勧めていました。
そんな父でしたが肝硬変は肝不全に成り71歳の誕生日を過ぎた頃自転車に乗っていて工事現場の穴に落ち、骨折してから急激に老衰しました。まるで90歳の老人のように成り歩く事も出来なくなりました。
しかし、
その表情は柔らかく兄にも姉にも感謝と讃嘆の言葉を惜しみ無く言い続けるようになりました。
昔の楽しかった思い出が蘇るのでしょう。孫達が来ると、私さえ聞いたことの無かった子供の頃のやんちゃな思い出話をおもしろおかしく聞かせてくれました。
主人に「洋輔さんありがとう。生長の家は素晴らしいからな。間違い無いからな。幸江は純粋な娘だから頼んだよ」と言っていました。
危篤状態のまま三日間生きてくれました。
私はもう一度奇跡が起こって父が元気に成るのではないかと思いたかった。
父は意識が戻ると
「幸江、甘露の法雨を誦げてくれ」
と言い続けました。
読みながら、このお経が終わるとお父さんは逝ってしまうんじゃないかと思えて怖かった。
三日目の朝「天使の言葉」を読んで居るとき
(お父さんは卒業するんだ)と素直に思えました。
(お父さんは襖の向こう側に行くだけだ。命は永遠生き通しだ)
私がそう思った時、父の呼吸も安らかになりました。
大きく呼吸をすると、少しずつ息がかすかになっていきました。
私は父の頬にキスをして「お父さん、ありがとう。大好きよ。」と言いました。
父は少しうなづきました。
あれから五年。父はいつも私を愛し守ってくれています。神様を愛する事と父を愛する事は全く同じ事なのだと思えてなりません。
父は社会的になんの成功もしなかった。だけど世界一心の美しさを求めた人でした。
父から伝えて頂いた「生長の家」の信仰を私も伝えていきます。永遠生き通しの命を自覚して。
酒井家の年末年始
2007-01-04
あけましておめでとうございます。
今年になって初めてパソコンの前に座っています。
酒井家の大晦日は私も主人も仕事でした。しかも、とびきりの忙しさ。閉店しても初売りの準備で帰れない。
7時半過ぎに会社を飛び出て、子供達の待つ家へ帰ると
びっくり!!
子供達が大掃除をしてくれていました。窓もトイレも台所もピカピカです。
私の年末のお休みは29日だけだったのでこの日で大掃除と思ったのですが、フラフラに疲れている私に家族が口をそろえて「お母さん、寝て下さい。今日ぐらいは体を休めてください。」と言ってくれました。今までの私なら、「なに言ってんの。今日掃除しないと年が超せないでしょ。」とがんばってしまってましたが、この頃スナオな私はみんなの優しさに甘えました。主人も「来年掃除すれば良よ。とにかく休みなさい。」と笑顔です。
朝10時から16時までぐっすり眠りました。平均睡眠4時間の私には何よりのプレゼントでした。
まさか子供達が大掃除のプレゼントまで贈ってくれるとは。うれしいな〜。
初詣は深夜の2時過ぎに行きました。みかちゃんは神社で甘酒売りのアルバイトに行ったし、たかちゃんは友達と三社参り、さえちゃんは寝てましたので夫様とあきちゃんの三人でお出かけしました。
この三人で出かけた事は初めてです。
歩いて10分の道のりをあきちゃんは弾むように歩いていました。
「あきちゃんは小さい頃からいつもニコニコして可愛かったよ〜。 あきちゃんはお父さんが大好きでお父さんに抱っこされるとニコニコしてたんよ〜。」
「ふ〜ん」
今年13歳になるあきちゃんに、ついつい思い出話です。
「あきちゃんがお腹に宿ったときねえ、3人目だから色々大変だったのよ。それでお母さんは「生命の
実相を声に出してお腹の中のあきちゃんに読んで聞かせていたのよ。あきちゃんを産む日も分娩室に「生命の実相」を持って入って、読みながら産んだのよ。気持ち良くてね。無痛分娩どころか、快感分娩だったのよ。」
「おじいちゃんは再婚でね、前の奥さんは生まれた赤ちゃんと死んでしまってね、その人のご供養を一生懸命したらね、その人の命日と同じ日にあきちゃんは生まれてきたのよ。あきちゃんはご先祖様の祝福を一杯頂いているのよ。」
「で、お母さん僕はどうリアクションすればいいん?」
「あきちゃんのお好きなように。」
おみくじは大吉でした。
元旦は酒井のお父さんとお母さんに年始の挨拶に行って、お母さんの実家で新年会でした。酒井家はお母さんの実家の料理屋の支店でしたので、本店支店の関係がお店を閉めた今でも続いています。酒屋だったのに叔父以外はみんなお酒が飲めなくてお酒なしの宴会です。
お母さんの弟はカヌーに乗って世界中の川を犬と一緒に下って本にしているエッセイストです。カヌーイストと言う言葉を創った人です。アウトドアー好きの方なら知らない人は居ないかな。
母の兄弟姉妹は自由で明るくて、会話は有名作家の名前がバンバン出てくるので、最初は緊張しましたが、素朴な我家の子供達を面白がってかわいがってくれます。久しぶりに大好きな人たちと過ごせて楽しかった。
2日3日から初売りでまたまた良く売れて忙しかったのですが、今日はようやく早帰りができて、少しくつろいでいます。
今年もスナオなココロできらめく思いを書いていきます。
ありがとうございます。
ニコニコ、ニコニコ